☆イントロダクション☆
建築のかた・かたち
日本的なものとは? 今日本の建築環境は良くも悪くも、国内はもとより世界中から瞬時に情報が伝わり交錯しています。そして私たちの街には様々なスタイルの建物が混在し自己主張しています。この様な時代にはたして日本的なものが存在し続けるのでしょうか。
しかし、かたちは変わろうと日本人の根底には長い歴史の中で培われた日本的なソースは生き続けているはずです。洋風的なものを取り入れてもそれをうまく和のデザインにして表す。そんなD・N・Aを日本人はもっていると思いますし、私にもあると思います。
日本というこの風土の中で自然や地域に調和し、その上で自己主張の出来る建物 そんな建物づくりが出来たらと思います。

施主が満足する設計とは・・・
施主の言うとおりに設計するのが一番喜んで頂けるし、文句もなくていい。第一手間が省けて良い。そんな設計士やそれで満足されるお施主さんがおみえになります。
しかし 『それはちょっとおかしいのではないですか?』 と私は言いたい。
お施主さんは純粋にああしたい、こうしたい、これがいい、あれがいいと自分の想いを語られます。しかし思い入れが強い分、それは時として断片的でトータルとしてつながらないことも多いものです。
例えば間取りと外観のバランス・全体の動きや流れ・素材の使い方とコストバランス等等・・・。施主の想いを充分聞きとり、整理し、建築家としての立場からの意見も踏まえ、総合的に組み立て、まとめ、想いをかたちにすること。それが本当の設計士であり建築家の役割ではないでしょうか。
建物が完成したときに 『アスカさんにお願いしてよかった』 というお施主さんからの一言は本当に嬉しいものですが、もし何十年後にも同じ言葉が聞けたら建築家としてこれ以上の喜びはありません。そんな建物づくりができればと思います。

施主、建築家、施工業者の関係について
建築家は業者さんからなぜか先生と呼ばれます。なぜ先生なのでしょうか?
業者から見れば我々は崇め奉られる存在なのでしょうか。でも建築家と業者はどちらも施主に依頼されて仕事をしているのですから基本的には同じはずです。ただ設計と施工という立場が違うだけです。
建築家の言う事はたとえ間違ったことを言われても黙って言うことを聞くというスタンスの監督さんがいますが、それは違うと思います。人間ですから建築家も施工業者もミスもありますし失敗もします。だからこそお互いにそれを補い助け合ってより良いものをつくることが必要じゃないでしょうか。
それは馴れ合いでも何でもありません。設計者と施工者というお互いの立場で意見を言い合ういわば真剣勝負です。その話し合い(けんか?)の中で是々非々を見極めればいいと思います。
仕事に信念のある監督さんとの現場は、施主に満足してもらえることが多いし、結構楽しいものです。
コストについて
設計料はサービスしておきますという業者の言葉を信じて、そのまま業者さんに設計から施工までお任せのお施主さんがいますが、果たして本当に得をしたのでしょうか。
ひとついえることは設計はただでは出来ません。あまり深く考えてない設計ならそうたいしたことはないでしょうが、きちんとした設計にはそれなりの経費がかかります。
業者さんが自社でするにしても,外注で設計事務所に頼むにしても(多分外注で頼む業者がほとんどだと思いますが)どちらにしてもその経費は工事費の中に含まれています。
設計が出来あがればあとは業者が見積もりをして施主と間で請負金額の話が進みますが、もうこの時点まで進むと比較検討して業者を決めるという選択肢を施主は使いづらくなっています。これまでの経験からすると数社に見積もりを依頼した場合、通常高い業者と安い業者とでは1〜3割程の開きがあります。
だから場合によっては設計料分どころかそれ以上にコストダウンできる可能性もあるということです。ただし無理なダンピングで手抜き工事をされたら意味がなくなるので、提示された金額が妥当なものか、またその工事を遂行できる能力があるのかをチェックするのは私たちの仕事です。
今は価格競争の時代です。各会社が企業努力で良いものを安く提供する時代です。良いものを安く それを正当に判断しチェックできるのは、第三者的な、公平なスタンスの我々建築家しか出来ません。
それから最近トータルコストが重要視されています。これはその建築物が使用されている間には維持管理費とか修繕費用とかがかかりますが、当初の建設に要した費用と何十年の間にかかった維持管理費の総計を足してトータルコストといいます。
だから多少工事費が高くてもその後の維持管理費、修繕費が安く済めば、結果として安い建物だといえるわけです。それともし業者が手抜き工事をして建物の自命が短くなればトータルコストはアップします。